何でこんなことになってしまったのだろう。 私はただ、肝試し大会の舞台の下見に来ただけだったのに・・・。 どうして・・・。 街の中心から遠く離れた場所に、ポツリと存在する一つのさびれた廃工場。 数年前から放置されていたであろうその建物内を、一人の少女が走っていた。 少女の靴が金属製の床を蹴る音が、静かな工場内に大きく響く。 ふと、彼女の袖が朽ち果てかけている手すりにこすれた。 赤茶けたサビが、少女の着ている高校の制服に付着する。 しかし、彼女はそれを払おうともせずにただ、走る。 まるで、何かから逃げているかのように。 「ここまで来れば・・・」 少女は工場内のある一部屋で息を整えていた。 昔は従業員の休憩室として使われていたのだろうか、その部屋には長イスが数台、ホコリが積もった状態で放置されていた。 「・・・でも、どうすれば・・・」 と、少女が泣きそうな顔でつぶやいたその時。 ノブがさびつき、動く気配さえ見せなかったドアが突然、大きく揺れた。 「!」 向こう側から強い力で叩き続けられているのか、ドアはみるみるうちに歪んでいく。 少女はヒッ、と声をあげ、後ろ側のドアから走り出した。 さびついて今にも崩れ落ちそうな階段を一気に駆け上がる。 「・・・たしか・・・この先に非常口が・・・あったはず・・・!」 酸素を求めて悲鳴をあげている肺をなだめながら、少女はただひたすら走る。 とにかく走る。 突如、何かとてつもない重さの物体が近づいてくる気配がし、少女は服に泥が付くのにも構わず、地面に伏せた。 その瞬間、彼女の頭上を何かが通り過ぎていく。 おそるおそる振り返ると、背後の壁に突き刺さっていたのは、巨大な歯車だった。 「・・・何・・・コレ・・・」 口ではそう言ってはみるが、歯車を投げたのはアレ(・・)だということは、頭のどこかで理解できていた。 理解できてしまっていた。 いつの間にか千切れた髪が数本、はらはらと舞い落ちた。 工場内の何かの設備から、無理やりもぎ取られたと思われる歯車は、壁にめり込んだままビクともしない。 後ろからの気配はますます近づいてきていた。 「とにかく・・・急いで・・・ここから出ないと・・・」 その時。 「痛っ・・・」 右足のふくらはぎの辺りが凄まじい激痛を訴える。 どうやら無理に走り続けたせいで、足がつってしまったらしい。 (・・・こんなことだったら・・・もうちょっと体育の授業、真面目にやっとけば良かったかな・・・) 少女は自暴自棄の笑みを浮かべて背後を見た。 後ろに迫っていたのは・・・。 土で作られたような茶色の巨人だった。 「ッ!」 無駄だとは思いつつ、腕を交差させて自分の顔面を守ろうとした。 車ほどの大きさがあるその土人形はゆっくりと拳を振り上げ―――― 即座に振りおろした。 そして、轟音が少女を飲み込んだ。 ―――――かと思われたが・・・。 「え・・・?」 巨人の一撃は、どこからか現れた少年の手のひらで止められていた。 年は十六ぐらいだろうか、目つきは少し鋭く、多少大きめの黒いコートを身にまとっていた。 少年は私のことを軽く一瞥すると、すぐに視線を巨人に戻してこうつぶやいた。 「さて・・・と、だ」 彼は巨人と拮抗(きっこう)させている右手を握り締めると、人形の頭の高さまで飛び上がった。 今度こそ、私は自分の目を疑った。 少年は巨大な人形の手を、全く自然な動作で、殴り飛ばした(・・・・・・)。 ズズン、と重い音と共に、巨人の左腕が床に転がり落ちた。 (・・・ハハハ・・・多分・・・いや絶対夢だ・・・) 私は顔をひきつらせて笑うことしかできなかった。 カツ、カツという音が響く。 いつからいたのか、肩に一本の木刀を乗せた少年がけだるそうに階段を登ってきた。 彼は階段を登りきった位置で立ち止まり、肩が砕け散った土人形と、放心したようにその場に膝をつく少女を横目で見ると、つぶやくようにこう言った。 「やっぱりこうなるよな・・・」 その木刀少年は退屈そうに欠伸をすると、少女に向かって何事かを言おうとした。 すると突然、少女のすぐ前にいる方の少年が口を開いた。 「おい、お前も手伝え」 木刀を持った少年は心底面倒そうに、ため息をつく。 「・・・いや、お前一人で片づけられるだろ、紫苑(シオン)」 紫苑と呼ばれた少年は軽く舌打ちして、 「・・・じゃあ何で俺たちは二人とも呼ばれたんだろうな?」 「さあ? 不測の事態に備えるためじゃないのか?」 「だったら・・・」 「今はまだ想定の範囲内だろ? ・・・そんなことより、来るぞ」 内部で何かしらの修理動作が行われていたのか、再度動き出した巨人は大きく右手を振りかぶった。 紫苑は再び舌打ちすると、後ろに飛びすさり、巨人との距離をとる。 「・・・ったく、殴るだけしか能が無い木偶(でく)の坊が・・・」 彼は右手を空中に掲げた。 ブン、と虫の羽音のような音がして、空中の黒い粒子が彼の右手に集まっていく。 「・・・邪魔だ」 紫苑は短くつぶやくと同時に、掲げていた右手を巨人に向けた。 集まっていた黒い粒子は、巨人に向けて収束する! 粒子の塊が巨人に当たると同時、工場自体が大きく振動した。 「・・・うわ・・・!」 少女は思わず声を出してその場に手をついた。 揺れが収まり、彼女が前を見ると、巨人の腹部には人の頭ほどの大きさの穴が空いていた。 巨人は数秒動きを止めたかと思うと、ズズン、という重い音と共にその場に崩れ落ち、それきり動かなくなった。 「・・・」 私は、目の前で起こった一連の出来事に、ただ、言葉を失っていた。 ふと、横を向くと、二人の少年が何事かを言い合っていた。 「・・・ハハ・・・」 助かった、のだろうか。 足の痛みはいつの間にか、引いていた。 私はゆっくりと立ち上がり、片方の少年の方を見つめた。 その少年―――紫苑という名前だっただろうか―――は、私には・・・何となく・・・ 白馬の王子様に思えた。 「あ・・・あの・・・」 私が発しようとした言葉を遮り、白馬の王子様は私の方を向き、ふと気づいたように、こうおっしゃった。 悪魔の様な笑顔で。 「ああ、忘れるところだった。目撃者は全て消しておかなくては」 彼が私の顔面に近づけた手に、ポッ、と小さな黒い炎が生まれた。 「わああああああっ!」 もう、誰が味方で誰が敵なのか分からなかった。 我ながら情けないと思われるような叫び声をあげ、即座に私はその場から逃げ出していた。 「なんつーかさ・・・」 木刀を肩に提げた少年は、紫苑を半眼で見つめた。 「説明が面倒だからって、あんな追い払い方はまずいんじゃないのか」 紫苑は皮肉げに口の端を歪めた。 「フン、こんな場所に来る奴にはいい薬だろう」 少年は床に転がった巨人の残骸を足で軽く蹴った。 「というかお前、確実にあの子に悪魔とか思われたと俺は思う訳なんだが」 「どうでもいいさ」 「そういえば、前にも似たようなことがあったような・・・というか、毎回こんな感じなんだけども」 「いや、多分、お前の気のせいだろう」 紫苑は心の底から興味がなさそうに言葉を返す。 「・・・数日前のコト、憶えてるか?」 木刀少年は紫苑を半眼で見つめた。 「ああ、あの強盗か」 「・・・あのときはいい年こいたおっさんが、お母さーん、とか泣き叫んでたぞ? もうちょっと、手加減というものを・・・」 紫苑はフッ、と鼻で笑い、 「ゆとりの弊害(へいがい)だな」 「お前・・・」 「それでだ、白斗(ハクト)。無駄話をしている暇があったら、とっとと連絡入れてくれ」 白斗と呼ばれた少年は、何か少し言いたげな様子で軽く手を振ると、ポケットの中からケータイを取り出した。 通話記録のリストをめいっぱい下げ、目的の番号を呼び出す。 電話が繋がるまで数秒待ち、数度のコール音が鳴った後、白斗が口を開く。 「もしもし、秋津さん? 今回の件は無事に終了しました」 すると、彼の握っているケータイから、ノホホンとでも表記すればいいのか、そんなノリの女性の声が流れてきた。 「はい、どーもごくろうさん♪ もう戻ってきていいよー、っと」 同時に、白斗の背後で紫苑が小さく舌打ちする音が聞こえた。 二人は廃工場を出て、 「ま、久しぶりのこういう戦闘系の仕事だったからねー」 電話の相手はカラカラと笑う。 「それで、秋津さん」 (ページ替え)